私たちは太陽と水の恵みで人として生かされている。
太陽がいつ生まれたのかはわかりません。
いつかは太陽がなくなる日も来るのかもしれません。
いつまで太陽のおかげで水があるのかわかりません。
水分が70%の人の体。
植物も繊維より水分のほうが多いでしょう。
いのちの根源は水。
京都は台風で雨が降っています。
太陽があるから水があり、
太陽があるから火があり、
太陽があるから植物があり、
当たり前のように存在する太陽は
とてもありがたいのでしょう。
太陽は地球がなくても生きていけるけれど、
地球の生物は太陽がないと生きてはいけないでしょう。
なので、依存はことと場合によって、
必ずしも悪ではないと私は思っています。
でも、自分でできるにこしたことはなく、
過剰がいろいろな現象を産むのかな、とも思います。
太陽は燃えながらいつまで長生きしてくれるのでしょう。
明日は、いけばな池坊の勉強で「立花」の習得です。
地球上での調和とバランスを花と手と頭で習います。
そして、
縁をつなぐ勉強の
「木の道、草の道」の流れをポイントで学習します。
花でできるようになったことを
自分の人生に生かすことができるようになりたくて、なかなかなれなくて、
何十年と同じことを繰り返し繰り返し、習っています。
華道をしている(まだまだなんですが)ことは
日本人の感性の勉強とも感じています。
そして、その奥には
地球上での花と人の歴史があります。
名寄の遺跡から古代縄文時代の古墳から花粉の塊が発掘された記録があり、
人と花の関わりが想像できます。
人は感情の生きものです。
どうにもならない、哀しみ、怒り、喜び、愛情、言葉にならない想いを
古代の人々の時代から花に託したのでしょう。
それを現代は「癒し」とも呼び、植物以外に多様化したのかもしれない、と
そんな風に思った今日でした。

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