看取りやいのちを考えるテーマの映画「仮題 命のバトン」。

外部講師をさせていただいている、一社)日本看取り士会会長 柴田久美子先生の物語であり、
プロデューサーはアイエス・フィールドの嶋田豪さん。
監督は白羽弥仁さん。
主演は榎木孝明さん。

7月2日、富士山を道々眺めながら静岡の撮影現場へ出向き
数シーンの背景に花をいけてきました。

 

撮影の前の週、東京に出張していた際に決まった出来事でしたので、
監督との事前のイメージのすり合わせをやり取りし、
5月下旬から6月上旬、8月下旬、9月上旬 のシーンに4作を制作するにあたり、

準備段階で大変だったのは、制作イメージの合致は当然なのですが、
それよりもなによりも最大の難関は
「その季節の花が今、農家さんで出荷、問屋さんで流通していない」こと。

「花で元気プロジェクト」を共に参画し、いつもお世話になっている、花き市場の秀芳生花の黒澤副社長に相談しながら、悩んだ末に、
北海道から花をホテルへ空輸と決断。

本州は夏でも北海道はまだ20度。しかも今年は寒いので、春や秋の素材にぴったり季節が合いました。
そして3作品は私の育てた庭に咲いていた花の中から、
監督の意向や、現場のスチュエーション、そしてテーマ性に、にぴったりな趣だと思われた花を選択。
器はすべて自前の数々の中に合致したものがあったので、そちらもホテルへ空輸。
道具も空輸。
最後に私も空輸しました(笑)

そんなばたばたとした事前に仮いけ込みで写真を助監督さんとイメージ送付しながらのすり合わせと準備でした。

前日ホテル入り。
到着していた数個の大荷物を開けるのが怖い。

花も人も同じに、いのちは環境の激変で生命力が良くも悪くも変化するのです。
北海道の涼しいカラッとした環境から、暑くて湿気でムンムンしているところへ運ばれてきて、大丈夫かな・・変色してないか、傷がついてないか、萎れてないか・・」と、
花が心配で心配でたまりません。
季節外れの柔らかいシマススキは水揚げが難しいため、それも空輸してもらったのでなおの事。

開けて、速攻ですべて水揚げ。シマススキに馬油を付け延命。それでも20本中5本が映像で人目にふれてもいい素材感に。
庭から持参した花たちも再度手を施し、器も割れていないか・指紋がついていないか、確認。

などなど、言えばきりがないほどの準備を15時にホテルについて無我夢中でして、やっと終了したのは20時過ぎ。
今度は、ホテルの冷房が気になりだし、
明日の朝花は大丈夫だろうか、ススキは乾燥しないか、など心配と手当てやメンテなナンスは花が生きている間永遠に続くのです。

旬の花以外を使用する仕事は、
大体ストーリー性やテーマ性のある仕事の時です。
旬の時は旬なので、心配しなくても大丈夫なことも、
なんでもそうですが、まだ早かったり、遅かったりする生命へは
配慮と手当と気配りがかかせません。

その日は植物たちと寝ましたが、ほとんど花が気になって眠れませんでした。

次の日看取り士会の町田研修所の清水講師がお迎えに来てくださり、荷物を積んで現場の静岡へ。

到着すると撮影に付き添っている柴田先生が出迎えてくださいました。
榎木孝明さん、プロデューサーの嶋田さん、もいらして既に撮影は始まっています。
皆さんにご挨拶をして、さっそく花生け準備にとりかかります。
とにかく冷房がない。暑い!!!
花生けの際には私はいつも集中すると暑いも寒いも何も感じなくなるのでいいのですが、
花が暑い・・・・。

結局撮影が終了するまで気が気ではありません。
30度を超える中で、花の状態は、朝から夕方まで、同じではないからです。

撮影現場は来る前に想像していた感覚通りでした。

1作品5分ほどの時間で、その場に合わせて生けると、
俳優さんの演技と花と場の雰囲気と、床の間の小物も、すべてがピタッとひとつになって、
エネルギースパークしたように感じました。

「急ですみませんが、明日の撮影分も生けてほしいんです」と助監督さん。

それは、8月下旬のスチュエーションでした。
来る前にはなかった季節想定だったので、「花がない・・」と思った瞬間、
「あ、そうだ。はい、了解いたしました。今日の現場終了までに明日も持つようにしていけ込みしておきます。」
とお受けしました。

実は、
北海道から空輸した花の中で、なんとなく予備で頼んでいたトルコキキョウをまだ使用していなかったのでした。
8月下旬のお盆あけ季節に、ぴったり。

そして撮影をよそに、時間がないので、ひとりぽつんと玄関でもくもく明日の花の準備をしたり、
いけ込みをしていると、
床の間のある先ほどのシーンを終えた白羽監督が、
突然私に駆け寄ってきて、目を輝かせながら、
「ピッタリだった!!!」
と大声で一言言って、去っていきました。

集中していけこんでいたので、突然のことにびっくりして驚きながら、
心の中で「だって、現場にぴったり合わせることができるのが、私の制作の最大特徴なんだけどな・・」と、思いながらも、
「よかったです!」とお返事し、

監督にそう言っていただけて、責任という肩の荷がおりたようで、ほっとしました。

芯からほっとできたのは明日の花が絶対に明日この環境で大丈夫!と思えた準備が終了した時。
その時に、先ほどの監督の顔が脳裏に浮かんできて、
「ほんとうにしあわせな時間と仕事だったなあ、生きててよかったな・・」と。
始めてであった皆さんにお礼をし、感謝の気持ちでいっぱいに。

お昼には、主演の榎木さんと柴田先生、清水さんと榎木さんが差し入れして下さったステーキロケ弁当をいただきながら、歓談。

撮影現場での文化表現をスチュエーションごとに提言もし、
そのことで、柴田先生と日本の文化を伝えることの重要性についてもお話できました。

 

 

 

 

私は旅館の娘として産まれ、母は旅館経営、父は看板屋、そんな環境に育ちました。
玄関に水を打ったり、靴を並べたり、お客様にお茶をだしたり、浴衣を畳んだり、そんなお手伝いも小さいころしていました。
旅館業が嫌いでしたが、今思うと、床や柱はすべて桜の木でできていて、
ツルツルと硬い木肌の感触が好きで、弟とスケートリンクや手すりで滑り台をして遊んでいました。
季節の掛け軸も、日本情緒のある小物も、すべてがいのちを感じる日常でした。

その小さい頃の日常の当たり前は、
現在では「日本の文化」と呼ばれる年齢になっていることに、今回気づきました。

生きていてよかった、と思える仕事がこの手でできたのは、
嫌いだと思っていた旅館業に産まれたから、そして母が私を産んでくれたから・・。

母に「おかあさん、嫌だ嫌だばかり言ったけど、旅館をしてくれていたおかげで、こんなに人の役にたったよ、ぴったり合う花が創れたよ。おかあさん、ありがとう」
と初めてこころから言える。思える。

そんな仕事になりました。

 

9月には横浜で開催される右記の舞台にも花を生けます。現場で出会った皆さんとの再会が楽しみです。

 

森直子

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