昨日今日は、花育講師養成講座。
暖かな名古屋から大雪の札幌へお越しになった生徒さんと
たいへん濃い時間をすごさせていただきました。
学校の保険の先生の彼女の目はまばゆいくらいにお話をしていて輝き始めるのを見ながら、
夏に名古屋で、「花育セミナー」を開催することを決めました。
今からとても楽しみです。
名古屋に講師が増えたので、慈愛の種がみなさんの胸にひろがるといいなと思っています。
今現在、北海道、秋田、東京、長野、山口、広島、福岡、四国に
いのちとこころの花育®ができる講師がおりますので、
ぜひご所望お問い合わせをお待ちしております!
物事を説明するとき表裏を割りきった意味の言葉では大変だなと感じることもあり、
ものごとの本質を説明するには、陰陽両方を説明しなければならないので、
古文を読むと、どの言葉にも陰陽が融合されていて、
これは表現が楽な時代だっただろうなあ、と痛切に思います。
そんな英語のような言葉が多くなった昨今は
「同床異夢」(人は同じ寝床に寝ていても違う夢を見ている、という表現)
の意味を先ほどの言葉と同じように痛切に感じる時代なのかもしれません。
先ほどの意味は、人は孤独で当たり前、という仏教的な要素を含んだ意味です。
孤独だから愛、愛だから孤独、というような陰陽を包括したような言葉では、
古語の「愛しい」は可愛いと可愛そうだ、が同時に内胞されたもので、
なるほどなあ、と読んでいました。
華道を長く勉強したせいか、私はそんな日本の本質的要素がとても好きです。
今日も礼儀のお話をして、
その人の意識や概念の本質が、礼儀に自ずと行為や行動に現れる。
というのが日本の華道の概念で決まりごとではなく、その人のありようを問われます。
というお話でした。
自ずと意識は行為行動となって表に現れるというものごとのありようがありますという本質です。
出来ていないからできるようになりたいと精神の高潔さを目指し、
出来たと思った瞬間、自分はそこで終わってしまう、果てしないもの。
一生かかっても絶対に終わらないものと知って、し続ける、
下りのエスカレーターを上って歩き続けるような感覚で、
そんな世界観をいつも持っていました。
花の歴史の数々のその時代時代のありようを実際に手で表現することは
日本史が好きなわたしにとって楽しい時間でした。
今日はUHB「U型テレビ」に新刊が紹介されると伺っていたので
録画して見ていました。
なんだか本がテレビに映った時、自分の娘がテレビにでて紹介されているような感覚で
可愛く写ってほめてもらってよかったね、などと実際の娘と見ていました。
ありがとうございました。
アマゾンをみると、また売り切れていてうれしいです。
1日3度しないと外にでられない雪かきの毎日で、もう雪を置く場所がなくなってきて
こんなに雪が多いのはいつぶりだろう、と思う今日この頃です。
花は愛  森直子 HP http://harufds.com

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