読売新聞の北海道の学校教育と学習能力の低下についてまとめた雑誌を
たまたま読み、道徳のことを調べていた。
人間が無意識の内に世の中に存在するものと認識している正邪・善悪の規範。とある。
トロッコの事例は息子も知っていた。
神経倫理学者ジョシュア・グリーンが実験した
「ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?」の人の判断の事例。
ジョナサン・ハイト(社会心理学者。同い年!)は、
道徳的判断は直観的に行われ、判断の後に合理的な理由付けが行われる。と言い、
愛犬が交通事故で死んだとき、イヌがおいしいと聞いていた家族は愛犬を調理してディナーで食べた。
ある兄妹はキスをするのが好きで、周りに誰もいないときに人に見つからない場所を探して激しくキスをした。
それは道徳的かどうか、という問いに、
誰かを傷つけたり権利を侵害する行為でなければ規制されるべきではないと考えていたにもかかわらず、
4割から8割の被験者がこれらの行為は許されないと判断して、
そしてその理由を上手く説明できなかった。
という道徳のジレンマについて考察している。
じゃあ徳ってなに?
徳(とく)は、人間の持つ気質や能力に、社会性や道徳性が発揮されたものである。と書かれていて、
歴史の中で、国で、宗教で、教えで、さまざまな変遷も書かれていた。
アリストテレスは、
勇気は蛮勇や臆病の中間的な状態である時はじめて徳として現れる。
この両極端の中間を知る徳性が思慮(フロネーシス、実践知)である。と言っている。
ジレンマは矛盾でおこる。
そしてその中での思慮が成長につながるのかもしれない。
先日ブログでご紹介した吉村正先生は
「矛盾が、いいんだ。」といつもおっしゃる。
岡野眞規代さんは
「解決しようとしない。(時と場合によってなのでお間違えなく)」
師匠は
「そういうものだ、としか言いようがない。」
母は
「わからないことは考えない。」
道徳のジレンマは4~8割の人が理由を説明できないのだとしたら、
人間はそういう生きものだ、ということになるので、
なんだ、そういうものなのか、とちょっと胸をなでおろす。
そして、
作家の川嶋康男さんが、
「心理学や哲学の本読まないで、森さんは、人物の本読みなさい。」と具体的におっしゃった。
ほんとうにそのとおりな、的確なアドバイスに、一瞬で思考が転換。
そうしよう。
と思いながら、
私をよく知っている人生経験豊かな方の意見は
まるで天の声のようだ・・と感じる今日でした。

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