大昔、証券業界にいました。
今現在は証券業界にいないので、
いきもののような数字や動向の流れは
生活の日々の中で実感できてはいないけれど、
一日の数時間の中での「虚」の世界。
「実」がなくても、莫大な資金が産まれたり、消えたりしていく。
そして
虚と実を合致させる。
1時間程度の中で、
あるいは10分間の中で
0が億になり、億が0にもなり、0がマイナス億にもなる。
最中は1秒ごと、じゃあどうするか、じゃあ、どうするかという即時判断。
膨大な過去のデーターを元に予測。
そして未来を販売する。
感覚だけが冷静に研ぎ澄まされる。
そんな中、
わたしは「実」の世界へ行きたくなり、
それまで続いていた花の世界に入った。
花は体験で何かを得た。
目の前には植物という実がいつもあった。
体験は一瞬で自分が変化する。
体で覚える。
身にしみる。
花育という言葉がない、9年前、
人をモノとしてみている場面に多々出会い、
どうしたら人は人を人としてみることができるようになるのかと
ずっと考えた。
「花を生きものとして捉えていける」
、ということを実体験することによって、
生きているいのちを実感してもらい、
同じいのちなんだということを体験してもらえたら、
いじめや差別、人を非難することや、過剰なこと過不足なこと、
さまざまな意識やものの見え方が
改善されるのではないか、
さらに平和な社会になるのではないか、
そう思って突き動かされるように
ひとりで活動をはじめた。
そして現在に至っている。
当初は説明しても説明しても、
あまりわかってもらえる人はいなかったので、
相手先に話をすること自体が大変だったけれど、
今はほんとうにいい時代になったと最近つくづく思う。
虚と実は確かにどちらも存在する。
もちろんモノにもいのちは宿る。
虚にも実にも
人がすることすべてには
「真の心」をもって行うことが重要と思う。
ゆがんだものの見方からほんとうは生まれない。
ゆがんで見えてしまうときはどんなときかというと、
自分を欺いているとき、
人は何かに転嫁して正当化してしまういきもののように思える。
自分もそうだ。
たとえば、
「子どものためにお菓子を焼きたいな」と思ったけど、
つかれているからできなかった。
それはよくあることで、
そのままをゆがめずに子どもにそう伝えることで、
自分を責めることもなく、
じゃあ、どうするかを相手と考えることができるし、
孤立はしない。
自分を欺いて生きるとき心に軋轢が生じることがある。
虚も実も
ニュートラルでいる、ことなのかもしれない。
虚を動かせば、実はあとから帳尻でついてくる。
実を動かせば、虚は変わる。
自分の中の虚(目にはみえないもの・精神・意識など)と実(目に見えるもの・行動など)が同時にできるもの、
それが日本人が創った「華道」という世界だった。
池坊は世界で7つある1000年続いた会社のひとつでもある。
虚の世界の激変がおこっている現在、
時間とともに目に見えてくる実。
来年は柔軟でニュートラルでいたいし、
自分の本来もっている生命力を引き出すことや
体験してきたことを残すことをしようとそう思う。
そして、今年一番師匠から学んだことは、
「ほんとうだけがほんとうではない」ということでした。
毎年28日、明日は
いけ納めの日。
この日のために1年間花を学んでいるといってもいいかもしれない。
納めることは自分の中の節目と感じます。
ことしも28日が無事にやってくることはとてもうれしいと思っています。
今年は
柳2種、蛇の目松、糸菊、千両などを用意しました。

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