人が産まれてきているのは、必要だから生まれてきているので、
その存在自体、必ず認められ、受け入れらている。
逆に言えば、生まれたいと思って生まれてきている、
卵も鶏も、どちらが先でもない魂の縁の
完全なる双方の両想い状態と
私は思っています。
愛されていて、愛している、という
根っこを、深く確信していれば、
なにがあっても
人は自然と強くなると実感しています。
できないことは人を幸せにもしています。
できる、できない
と感じる人がいるから基準が産まれるのかもしれません。
花を上手くいけられないから上手になりたい、
と思う人がいてくれたから、
私は仕事になりました。
花ができないと思う人で、より上達したいと思う人に、
私は人生を豊かに幸せにしていただいています。
気づきもいっぱいです。
昔はなんにもできませんでした。
いまだにできないし、
基準に達しているかどうかもわからないから、
叱られながら、
勉強しています。
続けてよかったな、と思ってます。
持続力のないわたしが、こんなに続いたのは、
ほんとうに周りの人のおかげ。
なんでもできるに越したことはない。
できることがあることはとても素晴らしいこと。
でも、
できないことに、罪悪感をもたない。
できると感じたときは、できなかったときのことを思い出そう。
そんな風に自分にも言い聞かせながら思っています。
勝手な思いですが、
そんなふうに感じながら
個展の案内状の、データーと
新しいHPのデーターを見て、
うれしくなって、はずむこころの
今日この頃です。

$花作家 森直子の 花のいのち 人のこころ

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