日々の中で
ほんとうに申し訳なかったな・・
どうしてそうしてしまったのだろう。
どうしてそう言ってしまったのだろう・・。
と思うことがある。
どうしてもっと気持ちをわかってあげられなかったんだろう・・、
思いやってあげられなかったんだろう、自分にはわからないのに
向き合いもせずに勝手に思い込んでしまったのだろう。。などと考えて、
ほんとうにごめんなさいと
謝ることがある。
以前乳がんと言われた時もそうだったが、
その謝罪すら自己満足に過ぎない。
人によっては、面倒過ぎて
謝ってほしくない場合もあるかもしれない。
そんなことを考えていたらなにもできない。
だから自分が思った通りの行動を
後悔しないようにするしかない。
言えないことは聞けないことと同じ意味になり、
人のこころは、
層になり、
蓋になり、
石(意思)になり
それが当たり前になり、
麻痺して、絶望し(風化)していく。
火 風 地 水
情 環境 安定 食
果てしなくそれらを求めてやまない人のこころ。
体がある限りこころがあり、
けして切り離すことはできない。
だからきっと
自分が苦しいときは相手も苦しいし、
楽しい時は相手も楽しくて
一体化するように思う。
舞台で花を生けるとき、
一体化し、即興でいける。
ほんとうに、その場、今、そのままが花に伝わり表現される。
感が動き、すべてが生かされているのを感じる。
なにをしてもすべてが生かされているとき
幸せに感じる。
そしてすべてが相殺するとき、
こころも失う。
でも相殺と思う枠は自分で決めていること。
枠を自ら創らないことが、幸せなこころを創る第一歩のような気がする。
しかしながら、あまりに枠がないと、
社会に適合できなくなるので(笑)
注意が必要、ほどほどに自制のこころも同時に必要となる。
なんでもどんなことも楽しむこころ。
そんな風に思う。
そして生半可より、「本気」のほうが
生きている実感が体感できるのは確かだ。
なので、私はいつもなんでも、本気を出してほしくない人にまで(笑)
本気でしてしまう。女性なので、究極命がけになってしまう(お産は命がけ)ので、
死んでしまっては相殺だ。
ごめんなさいといつも思う。
写真集を制作していた時、
器は大地だった。
枠がなく、ほんとうに最高に楽しかった。
ほんとうに最高に素晴らしい作品たちができた。
昨日も写真集をお母様に買ったが、やっぱり自分が貰って毎日みているという
方からお電話があった。
あんな大それたことを受け容れてしてくれるのは、
HS㈱の社長と専務くらいしかいないだろうな・・
このご時世、
よほど、器がおおきい出版社しかしてくれないだろうなあ・・
と心底感謝する、今日この頃。

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